学習障害をめぐる紆余曲折

 

学習障害は英語で「Learning disabilities」と呼ばれ、その頭文字をとっだLDという略称のほうがよく知られているかもしれない。このLDという用語と概念をはじめて提唱したのは

一九六三年アメリカのカークであるが、最初の定義のなかで、LDの子どもの知能レベルはいろいろであるとされていた。それに対してLDの親の会は強く反発した。その結果、紆余曲

折を経て、日本では次のような定義に落ち着いている。

 「学習障害とは基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する、または推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示すさまざまな

状態を示すものである。学習障害は、その原因として、中枢神経系になんらかの機能障害があると推定されるが、視覚障害聴覚障害知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因

が直接の原因となるものではない」

 たしかにすっきりとした定義である。知的障害や、視覚や聴覚に障害はない、しかし実際に学校では、いわゆる「読み書きそろばん」が苦手な子どもということになる。こういう子ど

もに、言語的知能と非言語的知能とを分けて測定できる知能検査を行うと、両者のあいたに人きな開きがあることがわかる。ただし定義にあるように、両者を合わせた総合的知能は正常

範囲に入る。ここで言語的知能が、非言語的知能(動作性知能)にくらべて三〇パーセント以上低い場合は、言語性LD、その逆の場合は非言語性LDと分類している。

 たしかに言語性知能とか、非言語性知能といったむずかしい用語は出てきているが、すっきりしか定義だ、と思っておられる方も多いのではないだろうか。

 一九九〇年代の初頭、このLDが一般に広く紹介され、わが子の学業成績に頭を悩ませていた全国津々浦々の多くの親は、うちの子はこれに違いない、と新聞の切り抜きを握りしめて

、小児科や児童精神科を訪れたのだ。     

 ところが、子どもの発達の専門家であるはずの、小児科医や児童精神科医は、新聞の切り抜きを突きつけられて困惑した人が多かったのだ。なぜなら、その当時(そして、いまもまだ)このLDという障害をどう位置づけてよいのか、明確な方針がなかったからなのだ。

 現在、このLDという障害概念は、これまで述べてきた人の能力の多重性を考えるうえで、きわめて重要な概念である。また、現在の子どもの心の問題を考えるうえで避けては通れな

いものだ。しかし、それを解釈するうえで、多くの紆余曲折があり、混乱があった。

 学習障害をめぐる紆余曲折の最初は、現在は定義にあるように中枢神経系のなんらかの機能異常であると考えられているLDが、はじめは子どもの学校での成績と知能との乖離という

教育的な問題から発したことに関連している。

 医師は、一応は理科系人間に属する。理科系人間の得意技は、この世のなかの出来事を物質や分子、原子などの要素に分解して理解することである。たとえば子が親に似るのは、遺伝

子、つまりDNAと呼ばれる物質が、からだを形づくるタンパク質を決定する情報を担っているからである。このような要素に還元してものごとを考えるやり方を還元主義と呼んでいる