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特定病因説の支配

 

     現代医学は分析的手法によって支えられていますが、分析のしっぱなしで科学者が満足するわけはありません。分析によって一つの病気や一つの現象にかかわる因子・条件を可能なかぎり洗い出し、それを踏まえて一定の原因や法則を確認することによって、病気をコントロールするための拠り所を見出すことこそ、医学研究の目標なのですから。そのためには単に集まった情報を横ならべするだけではなく、それらの情報に重みづけをして、病気の診断や患者の治療に最も深くかかわる因子と副次的な情報とをよりわけなくてはなりません。たった一つの因子さえ操作すれば患者の病気が完全に制御できる、というような簡単な対応関係が発見できれば、これほど能率的な話はありませんか

 そのような単独因子を確定することによって医学研究のいわば理想的なモデルを提供したのは、細菌で引き起こされる感染症研究の場合でした。体液異常、遺伝、環境、ミアスマ(空気中の病的汚染物質)などが、古代から病因論の場で互いにゆずらず激しく争いつづけた有力な仮説群でしたが、ルネッサンス期の詩人・科学者の一人フラカストロの『伝染病論』(一五四六年)のあたりから病原微生物に対する相当確実な予感があらわれました。

 ことに一八八二年のコッホによる結核菌の発見によって感染症・細菌学の世紀、つまり特定病因論の時代がはじまったといっていいでしょう。実は、細菌学は医学の歴史からいうとむしろ比較的若い専門分野で、解剖学や生理学や病理学や薬理学よりは遅れて医学研究の場面での市民権を獲得したといっていいのです。近代医学研究のお手本といってもいい、正確でいきとどいたコッホの「結核の原因論」の発表自体、一八八二年ベルリン大学の生理学教室で開かれた生理学会で行われたものです。細菌学会がまだ存在していなかったのです。この論文は人類の最大の脅威であった結核の本拠を一挙についたという歴史的な意味を持っていただけでなく、「コッホの三原則」と呼ばれる細菌学的研究の基本原則を打ち出すことによって、感染論-ひいては医学研究一般のための近代的論理を定着させたという点て画期的であったということができます。その三原則というのは、

  一、ある微生物が特定の病変組織でつねに見つかる

 二、その微生物が人工の培養基で代を継いで増殖すること

 三、その培養された微生物を動物に接種してその病気を再現することができることの三つです。これによって病原菌が決定されるのです。注目に値するのは、ある病気を引き起こす単数の原因因子-病原微生物(細菌またはウィルス)を患者の体から引き離して独立のものとして取り出すことができ、それを用いて健康な動物に同じ病気を引き起こすことができることを確認したことです。この実験の成功によって、病気の原因を人間の体から切り離し、人間としての患者をさしおいて、病気の原因そのものを思いのままに操作するという能率的な、一次方程式的な研究方法論とそれに支えられた単純・明快な医学思想とが定着しました。これが「特定病因説」です。

 

『医者と患者と病院と』砂原茂一著より

 

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