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風邪薬とドリンク剤のひみつ

 

人類にとって一番身近な病気は、風邪であろう。なんでも、人は年平均6回は風邪をひいているものらしい。しかし、市販薬のトップは風邪薬ではなくドリンク剤。売れてる薬とひきやすい病気から、薬と人とのかかわりを考えてみた。

 

「もっとも身近でありながらもっとも謎に包まれた病」、それが風邪だ。一応「流行性感冒」などとそれっぽい診断名を用いられたりもするし、発熱、クシャミ、鼻水、咳など一つひとつの症状についてなら一般の人々だってよく知ってはいるのだが、それがいったいどんな病気なのかと聞かれると、大部分の人は「なにかツノと尻尾が生えてて、ヤリを持つてるバイキン君が、体の中で暴れてて……」といった具合に、幼稚園児レベルのイメージしかもっていなかったりする。

 

 実のところ、風邪という病に明確な正体などありはしない。あるのはただ、ウィルス感染によっていくつかの症状が複合的に引き起こされるという事態だけであって、その複数の症状の組み合わせをただなんとなく風邪と呼んでいるだけのことなのだ。そんな病気である以上、「風邪を治すクスリ」もまた存在しない。風邪薬と称しているものはみな、発熱や咳こみなどの各種症状を別個に、あるいは同時に抑制・緩和する対症療法薬なのである。

 

 「じゃあ風邪薬って、ほんとうは風邪を治せないの?・」と疑問に思うのも当然だろう。身も蓋もない言い方をしてしまえば、そのとおり。風邪が治ったのは市販薬や処方薬が効いたからではなく、人間がもともと備えている自己治癒能力によって回復しただけのことだ。多くの人は、薬なんて飲まなくても、風邪やインフルエンザは数日間安静にしているだけで自然に治ってしまうものであるし、薬を飲んでも飲まなくても、回復に要する時間はほとんど変わらない。ではなぜ医者は風邪薬を処方するのだろう。特に最近では、小児へのアスピリン投与によって起こるとされ、ときに死に至るライ症候群の危険性や、各種総合感冒薬の危険性が取りざたされているというのに、風邪薬はいまだに胃薬と並び「もっとも身近なクスリ」として親しまれているではないか。

 

 「結局のところ製薬会社と病院の金もうけのためなんだよ」と論じる人もいる。確かにその可能性だってあるだろう。風邪薬の需要が極端に下がってしまったら、医薬品業界も病院も大きな経済的ダメージを受けてしまう。しかし、主に風邪薬の薬害によって肉親を失った人々からなされるこうした主張は、どうも感情的になりすぎているきらいがある。なにか明確な敵に明確な責任を負わせなければやりきれないのだというその姿勢が「よくわからない病気を叩くよくわからないクスリ」である風邪薬の曖昧さとどこか重なって見えて、漠然とした寒々しさを感じてしまうのだが……。

 

 考えてみれば、化学作用を引き起こす異物を体内に混入するのだから、どんな薬にだってメリットだけでなくデメリットがあるはず。必要なのは「風邪薬のここが恐ろしい」だとか「風邪薬のここが必要」だとかの偏った考え方に走ることではなく、「メリットはここ、デメリットはここ」と正確に把握し、正しい知識を得たうえで使用するかしないかの判断を下すことではないだろうか。

 

 たとえば解熱鎮痛作用。熱を下げ痛みを抑えたところで風邪が治るわけではないし、愛知県医師会によれば、小児への解熱鎮痛は「発熱に苦しむ幼児の痛々しさを取り除き、親が安心するため」という理由に根ざしているとも論じられている。だが単に気休め目的の不必要な対症療法というわけでもない。

 

 風邪による発熱は本来異常ではなく、高めた体温によって体内のウィルスにダメージを与えるための自己防御であり、よって解熱剤の投与はこの防衛システムの阻害であるかのようにも思えてしまう。しかし、いってみればこれは人体VSウィルスの消耗戦であり、体力の劣る小児の場合、ウィルスへの攻撃で体力を著しく低下させてしまい、風邪による病害以上のダメージを受ける場合だってあるのだ。無事ウィルスを撲滅できたとしても、予後の回復にはさらに多くのエネルギーが必要とされるし、体力の劣る者があまりに長期間の発熱に侵されるのはあまり好ましくない。

 

 あえて医学・薬学サイドを擁護するならば、風邪薬とはつまり「患者の体だけで病気に抗う場合の疲労を軽減し、これをサポートするためのクスリ」なのだといえるだろう。体そのものによる発熱は体力を消耗させるのでこれを抑え、代わりに布団や衣服で暖める。抗生物質の投与によってウィルスの撲滅を助ける。鼻炎や喉のはれを抑えることで呼吸を楽にし、状態を安静に保つ。そうした効果があることもまた事実なのだ。

 

 五体満足で健康な子どもならともかく、世の中には生まれついての虚弱体質などによって「風邪ひとつひいただけで死にかねない子ども」だって存在するのだし、そういった、たとえ薬害のリスクを背負ってでもクスリに頼らねばならない子どものことを忘れて、ただ「薬害追放。小児への風邪薬投与を禁止せよ」などと叫ぶことに対し、どこか疑問を感じずにはいられない。また、小児領域での問題だけでなく大人にしても、「飲まなくても自然に治るのだろうけど、仕事の関係などで無理やりにでも症状を緩和しなければならないし、自分もそれを望んでいる」という人だっているのだ。夢も希望もない話ではあるが、現在のわれわれに与えられた選択肢は「風邪で苦しむ」か「クスリで苦しむ」かのどちらかしかないのである。

 

 風邪薬がほんとうに「百害あって一利なし」の悪薬であるならば、良識ある医師・薬剤師の活動によって近い将来、完全に排除されるだろう。しかし患者には「自身の判断基準によってマシと思われる苦痛・危険」を選択する権利があるのだ。そして少しでもマシな判断を下すためには、闇雲に信用するのでもなく感情的になって攻撃するのでもなく、「クスリは毒でもある」という当然の認識を踏まえたうえでの偏りのない思考が必要となる。確かに風邪薬は「なんだかわからない病気を、なんだかわからないもので、なんとかしようとするクスリ」だ。その「なんだかわからない’クスリ」をなんだかわからないままなんとかしようとしたところで、どうにもならない。

 

 薬とは「体内に混入される不自然な異物」。そんな代物を病気で弱った体に取り込もうというのだから、当然、それなりの知識と、知識に基づく判断、下した判断に対する責任と覚悟が必要となる。特に風邪薬は多くの人にとって、もっとも飲む機会が多い薬である。「飲むことがなんとなく習慣化している」などという事態は、できる限り避けるようにしておきたい。

 

『知らなかった医薬品業界』造事務所著より